卒業論文(感想その2)

 中世ゼミのNさんも感想を送ってくれました。こちらも先のOさん同様ボリュームのあるものですので、当ブログにアップします。彼女も書いてくれているように、卒業論文のヒントは至るところに転がっています。みなさんも攻めの姿勢で貪欲にキャッチしていきましょう!

            • -

   卒業論文を終えて

 卒業論文を提出して、はや一週間が経ちました。提出した直後は、解放感と達成感でいっぱいでしたが、今は少しばかり寂しさも感じます。

 私が卒論で扱った題材は、「能」でした。二年生の五月に初めて観た〈善知鳥〉という作品にこんな舞台芸術があるのか!なんだかよくわからないけどスゴイ!と感動し、何に自分がそれほど感動したのかを知りたく、能楽堂に足を運ぶようになりました。そして、二年生の十二月、〈松風〉という作品を国立能楽堂で観て、またしても感動しました。そして、私はその感動を自分自身の中で分析したい、誰かと共有したいと思い、卒論の題材に決めました。

 正直に言って、ぎりぎりまでかなりの迷走を繰り返しました。私が感覚として「スゴイ!」「おもしろい!」と感じたことは、いったい何なのか、何に焦点を当てるべきなのか、ということにも悩みましたし、どんな方法で、いかに論理的に、説得力のある文章を組み立てていくか、ということにもとても悩まされました。悩みはしましたが、辛い・苦しいと思うことはほとんどありませんでした。むしろ、楽しい・もっと知りたいと思うことばかりで、提出期限が近づくにつれて、もっともっと書きたいことがあるのに、調べたい事柄があるのに時間がない!となってしまっていました。
 「卒論どう?」と友人たちに聞かれ、「ヤバイ!でも楽しい!」と答える私は、なかなかの変人扱いを受けましたが、本当に楽しかったと今でも心から思います。私が、「卒論は楽しい」と心から思える理由を少しばかり説明したいと思います。

 第一に、自分で自由に選んだテーマで書けるということです。卒論は、自分の興味があるテーマを選べば良いのです。確かに卒論そのものは必修ですが、卒論の論題は誰に強制されることもない、自由なものなのです。今まで履修した授業、今まで見聞きしたこと、今まで経験したこと、自分自身が不思議に思うことや知りたいと思うことを調べ、自分を納得させる結論に導くというのは、とてもやりがいがあることです。
 第二に、卒論を通じて、新しい知識に出会えるということです。これは私の性格が好奇心旺盛で、何にでも興味を持ってしまうということのせいかもしれませんが、他学科や他大学の友人が多くいます。その友人たちと、「卒論なにやってるの?」という会話の中で、英文学をはじめとした海外文学や演劇、歴史学、哲学、論理学、心理学といったさまざまな新しい視点を与えてもらいました。
 もちろん専門家である指導教官から、真剣に真正面からアドバイスもいただけますし、ゼミの友人たちの指摘から、自分だけでは考えもしなかった可能性を見出すこともあります。
 私は、卒論は決して一人で書くものではないと思います。自分で自由に選んだ題材が、誰かの興味と重なり、新しい突破口が見えてくることも多々ありました。常にアンテナを張り、人との会話の中で、ヒントを見つけていくのは宝探しでもしているような気分です。

 最近では、卒論が必修ではないという大学も多いと聞きます。しかし、私はぜひ卒論を書くという選択を一人でも多くの人にしてほしいと思います。
たった22年の私の人生ですが、いろいろと「選択」をしてきたと思います。例えば高校受験、例えば大学受験、上京、例えば就職活動。それは誰かの影響だったり、誰かのためだったりということがほとんどでしたが、一つも後悔はしていません。後悔していない理由は、自分自身で「選択」したことだからに尽きると思います。
 卒論は自分自身で「選択」した題材について、真正面からぶつかっていくことができる大切な機会です。しかも周囲の教授や友人たちは、誰一人として卒論が失敗すればいいのになんて思うことなく、応援してくれます。そのような大切な機会を放棄するなんて、とてもとても、もったいないことなのではないかと思います。
 私は、卒論を書いてみて、本当に楽しかったと思いますし、自分自身の勉強不足や反省点も見つかりました。また、周囲の人々にとても恵まれていることも改めて実感しました。卒論を書き終えてからは、もっと学びたいという意欲が自分の中にあったことにも気付き、少しばかり驚いていたりもします。私は、卒論を書いたというこの経験が、今後において決して無駄なことではなかったとずっと思い続けるだろうと確信しています。