学術交流企画「ことばの身体性―語る・謳う・話す」

  
 12月8日(木)午後1時半より、日本女子大学文学部・文学研究科学術交流企画 シンポジウム「ことばの身体性―語る・謳う・話す」が開催されました。平日の午後、しかも冷たい雨のそぼ降るあいにくのお天気にもかかわらず、予想以上に多くの皆さんにお運びいただき、盛会のうちに終えることができました。
  
 パネラーのお三方(野村四郎・豊竹咲大夫・喜志哲雄)からは興味深いお話が次々と飛び出しました。まず、シェイクスピアが芝居を「聞く(hear)」という表現をしていること(しかしながら現在の邦訳の殆どがそれを「見る」としてしまっている)にはじまり、状況・場面によって同一人物が韻文・散文を使い分ける(その使い分けは作者すなわちシェイクスピアの判断による)こと、エリザベス朝の一般大衆向け公衆劇場は屋根のない張り出し舞台だったので、「だが見ろ、朝があかね色の衣をまとって、かなた東の​小高い丘の露を踏んで行く」(ハムレット・第一幕第一場・ホレイショー)のように空の光や暁の光といった時間や場所の指定を台詞によって行い、聴衆の想像力に訴えかけていたという喜志先生のご指摘がありました。
 それを受ける形で、野村・豊竹両先生からは、日本の伝統演劇における語りについて、能のワキはシテの物語(=語り)を引き出す存在でいわば能作者の分身であることや、さまざまな役柄を一人で演じ分けていく文楽の語りにおける難しさなど、演者の視点からのお話があり、前近代演劇に共通する特徴が改めて浮き彫りとなりました。能や文楽(素語り)の映像資料なども交えたとても密度の濃いシンポジウムになり、時間があっと言う間に経ってしまったような感じですらありました。お集まり下さった皆様にもご満足いただけたことと存じます。